私の離婚体験談

休職そして実家療養~離婚を決意するまで

体が動かせなくなり、唯一、私を現実の世界と繋ぎとめてくれていた仕事を休職することになってしまいました。元夫のもとで療養になるはずもなく、実家で療養することになります。休職と失意の里帰り・・・無念でした。実家とはすっかり切り離された生活を強いられていました。元夫は言うまでもありませんが、姑からも、可愛い息子の面倒を見られなくなった嫁に労わりの言葉などあるはずもありませんでした。

離婚を決意するまで

休職そして実家療養

とうとう、体が動かなくなってしまいました。

この少し前から、精神科への受診を始めていたのですが、体が動かなくなったことで、先生とも相談し、しばらく休職することになりました。

ちょうど、人事課の課長さんから、「体調がすぐれないようだけれど、大丈夫?」と声をかけていただいており、「体調がすぐれなくても、出勤してしまえば、どうしても周りは仕事をふってしまうし、あなたもやってしまうでしょう。自分に厳しくできるのは自分しかいないけれど、自分を甘やかしてあげられるのも、また、自分でしかないのよ。」と、休職の手続き方法を教わった直後でした。

この頃の私にとって、仕事へ行くことだけが現実の世界との唯一の繋がりでしたので、休職だけは避けたかったのですが、もう限界でした。

とりあえず、自宅で療養することにしましたが、元夫がいることで気が休まることはありません。

可能な限り起きて彼の出勤を見送り、その後横になりますが、ろくに眠ることはできず、午後には部屋の掃除を始め、夕食の買い物に行き、少しでも華やぐよう花を買ってきて部屋を飾ってみたり…

元夫は、不機嫌なまま、もはや「家庭」と呼べる状態ではありませんでした。

体は日を追うごとに動かなくなって行き、とうとう、彼の面倒すら見れなくなるに至って、私は実家へ帰ることにしました。

元夫と元夫の母親に実家へ帰る旨を告げ、タクシーを呼び、2時間かけて実家へ…

私の両親へは、手紙を出しただけで、その後は休職の連絡をしただけという状況でした。

結婚以来、私が実家に行けたのはたった2回…

元夫の母親は姑で苦労したとのことで、「嫁」の意識が強い人でした。

結婚後一年でやっと、「たまには実家で骨休めしてきたら?」とお許しが出たくらいで、息子を残して私一人がどこかへ出掛けるなんて論外という人だったのです。

私は嫁として、嫁した以上は先方の家風に従うべきと思っていましたし、私の両親もそうすべきと言っていたので、実家とはすっかり切り離された生活を強いられていたのです。

元夫は言うまでもありませんが、姑からも、可愛い息子の面倒を見られなくなった嫁に労わりの言葉などあるはずもありませんでした。

久しぶりの我が家です。

部屋へ入ると母親が私を抱きしめて…

まるで小さい子供をあやすように、背中をゆっくりと撫でながら、「今は何も考えずに、体を直すことだけを考えましょう。」と言ってくれました。

その頃私は表情を無くしていて、心の中では自分がしている最大の親不孝を、とても情けなく哀しく恥ずかしく思っているのですが、顔は能面のように動きませんでした。

実家に帰った後、待てど暮らせど元夫からも、元夫の親からも連絡はありません。

父が「やり直すつもりなら…」と気を遣って、義父からの呼び出しじゃ本人も辛かろうからと、元夫の両親に電話をし、彼に一度家に来るよう伝えて欲しいと話をしたそうです。

後になって聞いた話なのですが、元夫の親は「どうもうちのヤツが遊んじゃったみたいで…」と言い、「申し訳ない」に類する謝罪の言葉は一切なかったそうです。

むこうの家庭にも娘(妹)がいます。

もし自分の娘がこんな目にあったらと思えば、まず真っ先に連絡してくるのが当たり前だし、謝罪に出向くのが当たり前だし、こちらからの連絡を受けて、しかも電話口で「どうもうちのヤツが遊んじゃったみたいで…」と発言する神経に激怒していたそうです。

あの親にしてこの子あり…

父は何も言いませんでしたが、この男は所詮この程度の男で、反省しやり直すということは決してできないと思っていたそうです。

ですが、決めるのは本人である私。

その私に影響を与えないようにするために、父は全てが決まるまで、何も触れずにいてくれました。

基本的にずっと臥せっていたのですが、気分転換に家族で旅行に行こうと父が提案し、福島方面へ旅行に出ました。

家族4人が揃って旅行に出るのは久しぶりです。

レンタカーを借り、弟の運転で、気の向くままのドライブ旅行でした。

相変わらず父は離婚のことについて何も言わず、母も弟も、何も無かったかのように振る舞ってくれ、普通の楽しい家族旅行です。

弟のくだらないギャグが冴え渡り、笑顔の消えていた私にも、引きつっているとは言え笑顔らしきものが浮かびました。

家族の有難さが身にしみます。

ただ、お風呂に入った時に、私の裸を見た母が泣き崩れました。

結局体重を15kgも落としてしまった私の体は、骨がくっきりと皮膚の上に浮かび上がり、特に背骨は恐竜の標本模型のようになっていました。

それを見た母は、泣きながら私の背中を流してくれました。

申し訳ない、こんな歳になって親不孝をする私は、なんて情けないんだろう、世界で一番親不孝なのでは無いかと思いつつ、それでもまだ、離婚の決心をつけることはできずにいました。

やり直すつもりがあるのなら、離れている時間を長くするのは得策でないと、3週間の滞在で私は元夫のところへ一度帰ることになります。

その頃の私は、すりガラスの中に閉じ込められているような感覚で、見ているものもハッキリと見えることもなく、聞こえてくる音もボンヤリとしか聞こえない状態でした。

そうして元夫のもとで数日を過ごし、おしまいの日がやってきます。


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